Love & Peace -4thシングルセンターポジション総選挙-

先日 "ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow" を見てきました。その後ファンミ千葉に行ったあと連番者と話していて、今自分がこの作品やその周りに対して思ってたことを少し語り合ったんですが後から色々と湧いて出てきたので文章にしました。

いつもの感想、考察と違って少し尖った文章になっているかもしれませんがあくまで自分が思っていることを書いているだけですので。結論を出したり物事の見方を断定したりはしていないし、決して運営を批判したり他人を誹謗中傷しているわけではないのでそこらへんが狭量な人は見ないことをお勧めします。


あと文章の推敲は全くしていないので読みづらくても知りません。


"推す" ってなんだろう?
現在第3回4thシングルセンターポジション総選挙真っ只中ということもあり改めて考えさせられました。
言葉の意味を説明するならばある人物、あるいはキャラクターが好きでいてかつ応援しているということですが。
まず大前提としてそこに他人が誰を推しているかという意思は関係ないですよね。何故ならだいたいの人は推しが決まっているからです。では迷っている、もしくは決まっていない人は……?


そういえば最近になってTwitterで「◯◯センター計画」とかを目にします。
あれは何のためにやってるんですか?
と質問したら全員が納得できる回答をしてくれる人はどれくらいいるんでしょうか。

というのも仮に自分がそのキャラの推しだったら、言ってしまえばキャストや周りの人に言われなくても投票しますよねっていう話です。
であれば浮動票を狙っているとか、はたまた単純に自分はこのキャラが好きです!というのを声を大にして言っているだけかもしれません。別に浮動票を狙いにいくことは普通の選挙でも行われていることだから全く悪いことではないです。もちろん自分の好きなキャラの良さを他の人に知ってほしいという気持ちもとても分かります。
しかしそこに他人の意思が介入した人が入れた票には果たして推しという概念が存在していると言えるのか…なーんて余計な深読みをしたわけです。

これはあくまで "投票=推し"

という方程式が成り立っているときの話。後述しますけどこれが成り立たないケースもあります。

話を戻しますが、先程の質問をしたときの答えが
「このキャラの良いところをもっと知ってほしい」ではなくて「このキャラに投票してほしい」と論理が飛躍している人がたまにいるってことを言いたかったんです。

だからセンター総選挙ではなくあなたの推しは?というアンケートだったら純粋でフラットな結果が出るじゃん!とかも考えました。
言っておきながらあれですけどそんなの選挙でもなんでもないし、こんな身も蓋もないようなアンケートは僕自身やってほしくない、もちろん運営の方もしないことは分かっています。
言い方を変えると「センター曲を決める」という大義名分のもと、ほとんどの人が自分の推しキャラに票を投じる、ということをやっているわけです。

そこには前述したキャストや広報活動している「他人の意思」や、アニメ、ライブ、劇場版といった「時期」が重なってたくさんのファンの複雑な思惑のもと導かれる結果になってるんですよね。

なんか改めて考えてみると自分たちは面白いことやってるなぁ…って思いました。



そこで次に疑問に思ったのが既にセンターを取ったキャラ推しの人はどうするのだろう?でした。
μ'sの頃から「センター曲は持ち回り性」みたいな風潮があって、みんな平等にセンター曲があるべき!みたいな流れになっていますよね。
それって例えば現実のアイドルだったら何年も活動して頻繁にセンター総選挙をやってるから回数自体多くて、ラブライブ!と比べると「センター」の価値というか重みが違うと思うんですよね。だからみんなどこかで「自然とみんなに平等にセンター曲が与えられるべき」って考えになってるんだと思います。
仮にこの先何年も頻繁にセンター総選挙があるならば、多分こういった問題って出てこないと思うからそれが答えなんだと。
でもそんなことはないってことは僕たちが一番分かっているわけで。

だけど僕はたとえ以前センターを取ったからといって推しキャラに投票するのをやめてほしくないってことだけは声を大にして言いたいです。その人が「別のキャラのセンター曲が見たい」とかの理由があれば話は別だけど、周りの目を気にして推すのをやめることだけはしてほしくないですね。

曜、果南がもう一度センター取ったらそれは「第3回総選挙でまた1番になった!」っていう単純に凄い話じゃないですか。それ以上でも以下でもないです。
その結果をおかしいと言うのならば、そもそも対象のメンバーから外すべきだってのが筋ですし。2人のキャストがどういう思いなのか僕には分からないけれど、少なくとも投票されなくてもいいなんてことは絶対に思っていないですよね。

僕は善子が好きで推しているけれど、恋アク、HPTで曜と果南が1位になったときその曲が「推しがセンターの曲じゃないから…」なんて目で見たことはもちろん一度たりとも無いし考えたこともないです。自分のなかでAqoursの大好きな曲であることに間違いありません。
そういう視点で見てる人(見かけたことないけど)とか、自分の推しを他人に強要したりする人はいわゆるガチ推しではなくて、それはただの推しへの歪んだ愛の形じゃないですかね。

説明するのが難しいんだけれど極論、僕は「Aqoursの新曲が誰かがセンターになって出るんだ!やったー!!」ぐらいにしか思ってないんですよね。いやだって普通に嬉しくないですか?
だってみんな大好きだしそりゃ推しのセンター曲は見たいけれど結果誰になっても嬉しいみたいな…

……なんだろう僕がおかしいんですかね…?


目的と手段が迷走して結果、目的がすり替わった結果なのかな…と思わなくはないけれど、せっかくキャストが体張って勝負に挑んでるんだから裏でファンがあーだこーだいがみ合ってるのは違うよねってことを言いたかったんですわ。

とまあ"推し"ってなんだろうな、"推す"ってなんだろうなってオタクと話してて今の煮え切らない気持ちが湧いてきたので文にしました。
自分自身こういう争い事が大の苦手ということもあるんですが、ただ自分が好きなキャラクターやキャストを純粋に好きでいればいいのにこういうことを話題にしなければいけないことは悲しいところではあるけれど、思ったことを素直に言うことも大切だなって思いました。


すみません。まだ終わりじゃないです。


少し話が横道に逸れますが

「運営への批判や不満があるならば、それは自分が思うコンテンツの形と運営が彩っていきたい形が違うということだから追うのをやめるべき」

みたいな言葉をたまにみかけます。

これは良くも悪くも合ってるなと僕は思います。
ラブライブ!シリーズだってもちろん商売なのだから、売れるように戦略的な経営をしていくのは当然であって、というかむしろそうすべきです。
いい例なのがシングルCDにライブの最速先行抽選申込券が入ってるとかですね。

でもそこでキャストやファンの思いを完全に無視して作品を突き進めるのならば、それは普通のアニメにすぎません。
逆にファンの意見などを取り入れすぎるのも、それはファンに媚びているいうかファンに踊らされてるといった見られ方をしてしまいます。

普通のアニメは100%出来上がった作品を提供して視聴者が批評するわけですが、ラブライブ!シリーズは違いますよね。中のキャストがライブをしたり、ニコ生に出てアニメの感想を共有してくれたり、色んなメディアに出てたくさんの人に知ってもらったり…

そこには「成長していく」っていう一番大切な「過程」があるじゃないですか。
それがラブライブ!っていうコンテンツの一番面白くて魅力的なところじゃないですか。

だから他のアニメと違って好きだから見ればいいじゃん!嫌いだから見なければいいじゃん!
っていうそんな単純な話ではなくて、運営側の思いとキャスト、ファンの思いをうまく線引きしたところにこの作品のゴールがあるじゃないかなって凄く思いました。


これは劇場版を見たあとに湧き上がってきたんですが、劇場版の内容然り作成に関わってくださった方に思いを馳せた故に出てきた想いです。
自分でも当たり前のことを言ってるなと思っているけれど「過程」を思う存分楽しめるって幸せなことだなってつくづく思いますね。

これらの内容を総選挙の結果とか中間発表があってから言うと言葉の重みが無くなるなぁと思ったので思い立ったが吉日ということですぐ上げました。


そして劇場版!!
色々言いたいことはあるんですがここに纏めるにはまだまだ見直したいポイントがたくさんあるしBelieve againを死ぬほど聴きたいのでそこはまた改めたいと思います。